前回の投稿では、ヨーガの起源はインダス文明が関係していることがわかりました。
今回はそのインダス文明について深掘りしたいと思います。
*インダス文明の地域 にとぶ↓
*計画的な都市建設 にとぶ↓
*社会をつなげる重要な遺跡 印章 にとぶ↓
*土偶や工芸品などの遺跡 にとぶ↓
*インダス文明の調和 にとぶ↓
インダス文明の地域
インダス文明は、現在のパキスタンやインド北西部を中心に、インダス川流域で発展した古代文明です。
この文明は主に農業と交易によって、紀元前約2600年から紀元前1900年頃にかけて栄えましたが、その基盤はそれ以前から築かれていました。
人類がインド亜大陸に定住したのは約40万年前に遡り、農耕と牧畜を特徴とする新石器時代は紀元前7000年頃とされています。
インダス地域で人々の生活痕跡が見られるようになったのは、紀元前4000年〜前3500年頃です。
インダス文明の発見は1920年代初頭1になります。長い歴史を考えると、とても最近のことですね。
この文明は、東西南北1800キロメートルにも及ぶ広大な範囲に広がっていました。
1800キロとはどのくらいか、インターネットで調べてみたところ、「青森県から山口県」や「長崎県から岩手県」、「東京から上海」と出てきました。
とにかく広範囲だということがわかります。
そのため、地域ごとに地形や気候が異なり、自然環境の多様性が伺えます。
こうした異なる環境の中で、地方によって栽培される作物や生活スタイルが異なり、水資源が乏しい地域では牧畜が盛んでした。
また、一部の地域では石材や金属鉱石が豊富に採取されていたようです。
このように、多様な自然環境と生活スタイルが結びつき、資源を介した繋がりによって高度な都市社会や経済活動が発展しました。
同じような遺物が広範囲で出土していることから、多様性を持ちながらも文明全体には統一性があったと考えられています。
他の古代文明では、都市文明が成立するとすぐに国家が形成されましたが、インダス文明では計画的で整然とした都市が建設されたものの、王宮や大規模な神殿は発見されていません。
詳細な生活記録が残されていない現状では、この大規模な文明がどのように発展したのかは、未だに多くの謎が残されています。
計画的な都市建設
インダス文明の最大の特徴は、計画的に建設された都市です。
モヘンジョダロやハラッパーといった代表的な都市遺跡では、広い道路や碁盤の目のように区画された街並み、下水道システム、井戸や浴場を備えた住宅が見つかっています。
これらの都市は、非常に計算された都市計画に基づいて建設されており、道の幅や家の大きさ、建築物の配置などが綿密に設計されていたことがわかります。
インダス文明の都市には、城塞部と居住区を分ける設計が施されたものと、城塞部と居住区を一体化させたものが見られます。
モヘンジョダロの城塞部では、大沐浴場、僧侶の学院、列柱式ホール、穀物倉2などが発見されており、この城塞部が都市の中心的な役割を果たしていたことが推測されます。
おそらく、都市を統治する人々が暮らしていた場所だったと考えられます。
インダス文明は「焼きレンガで造られた都市」として知られていますが、地域によっては日干しレンガや石材が使われていることも確認されており、建築の伝統も多様であったことが伺えます。
社会をつなげる重要な遺跡
印章
インダス文明の遺跡から発掘された印章や土器には、インダス文字が刻まれていますが、この文字はまだ解読されておらず、そのため当時の政治体制や社会の詳細について多くが謎に包まれています。
ヨーガとも関係してくる印章について調べた結果、印章自体はインダス文明よりはるかに古い時代から存在していたことがわかりました。
前3500年〜前3000年の時代には、地域社会同士の交流が始まり、印章はその発達と密接な関係をもっています。
この時期の印章は、単純な幾何学文でしたが、前3000年〜前2600年になると、平原部でより細密な彫刻が施された印章が広く分布するようになります。
人々の交流が深まり、移動や物資の管理が必要になったのでしょう。
インダス文明の印章の多くは、凍石(とうせき)という軟質の石材を素材としています。
もともと凍石は灰色から黒みがかった色をしていますが、これを940度前後で加熱すると、化学変化が起こり、白色に変化します。
大きさは、一辺3センチほど。その平面四角の印面には動物を横から見た姿で彫られています。
その動物の7割は、想像上の動物『一角獣』です。
他にも、角や牙をもつ動物、バイソン、コブウシ、ゾウ、サイ、バッファロー、トラなどが描かれています。
さらに、半人半獣や人面獣、多角獣といった想像上の生物も確認されています。
私が特に注目したのは、前回紹介しました、モヘンジョダロ遺跡から出土した、両足を組んで座る人物像です。
瞑想修行をしているヨーガ行者の姿とそっくりです。
他にも、動物を従える人物や動物供儀を受ける人物が刻まれた印章が見つかっています。
これらの人物像は、単なる人間ではなく、神(シヴァ神)を思わせる人格者、あるいは僧侶(バラモン)を表しているのではないでしょうか。
もし実在の人物であれば、広域のネットワークを支える中心的な存在であり、瞑想修行で得た力を使って人々を助けていたのかもしれません。
インダス文明では王宮や神殿の痕跡がありませんが、“神官王”像と呼ばれる半眼の姿の石像が、モヘンジョダロ遺跡から出土しています。
名称に“神” “王”がついていますが、実際のところ神や王ではないようです。
この石像も瞑想修行者であった可能性が高く、当時の指導者としての役割を担っていたかもしれません。
瞑想修行者としてヨーガを実践していたのであれば、マントラを唱えていた可能性もあります。
インダス文字が解明されない理由の一つとして、マントラをはじめとする口伝文化が関係している可能性も考えられます。
また、広範な交易ネットワークを持っていたインダス文明の商取引では、印章が重要な役割を果たしていたかもしれません。
印章は契約や取引の証として使用され、所有権を主張するためにも使われていたと考えられます。
さらに、モヘンジョダロの一軒の家屋からは、様々な部屋から様々な印章が出土されているため、個人のお守りとしての役割もあったかもしれません。
このように、印章の用途や意味については多くの謎が残されています。
しかし、重要な役割を果たしていたであろう印章に、数は少ないものの瞑想修行者が彫刻されている…彼らは文明の中心的な役割を果たしていたのではないかと考えます。
ヨーガ行者は家を持たないため、あちこち旅をし、出会った人々の問いに答えながら悩みの解決へと導きます。
王宮や神殿を持たないインダス文明の平和と調和は、ヨーガの智慧が根底にあるのではないでしょうか。
土偶や工芸品などの遺跡
インダス文明の印章や文字は地域を超えて広く共有されていたと考えられますが、土偶に関しては地域ごとに異なる特徴が見られます。
例えば、ある地域では多様な動物が表現されている一方で、別の地域ではコブウシの土偶のみが作られていました。このコブウシ土偶はとても小さく、素朴で愛らしいデザインです。
また、人型の土偶も発見されており、特に女性像が前の時代に比べて多いことが特徴です。
現代のインドに見られる偶像崇拝や牛に対する信仰は、インダス文明のこのような土偶文化に起源があるのかもしれません。
インダス文明の石製ビーズは、非常に高度な技術が必要とされ、メソポタミア、アラビア半島、中央アジア南部まで広く分布していました。
インダス文明の土器にも様々な動物が描かれており、コブウシ、ヤギ、ヒョウ、魚などが有名です。
これらの動物が信仰の対象だった可能性も考えられます。
▲以上の画像は、2022年秋の特別展『ヒンドゥーの神々の物語』
古代オリエント博物館にて撮影
ビーズや土器だけでなく、印章やその他の工芸品もインダス川や海を経由して、遠くメソポタミアなどの地域にまで輸出されていました。
特にメソポタミアとの交流は密接であり、インダス文明の工芸品がメソポタミアで発見されることもあります。
こうした交易活動は、インダス文明の経済的繁栄に大きく貢献していたと考えられます。
単に身近な動物を描いたにとどまらず、そこには信仰や社会的な意味が込められていたのではないでしょうか。
印章や工芸品が、交易や社会のあらゆる面で重要な役割を果たしていたことは、インダス文明を理解する上で重要な手がかりとなります。
インダス文明の調和
インダス文明が広大な地域にわたり、王が存在しないにもかかわらず、長期間にわたって秩序が保たれていた理由の一つは、瞑想修行者、つまりヨーガ行者の存在が大きかったのではないでしょうか。
この広域にわたる文明が少なくとも700年続いた背景には、ヨーガの智慧である“調和”が、あちこちを旅するヨーガ行者によって広められ、社会に浸透していたのかもしれません。
彼らは宗教者や王の代わりに、人々の間で調和を保つ役割を担い、精神的な導き手としてインダス文明の安定に寄与していた可能性があります。
また、彼らの瞑想修行で得られた力が、広大な地域の統一を可能にし、現代のインターネットのように、情報や意志を迅速に共有する手段を持っていたのかもしれません。
宗教的権力に依存せず、精神的な影響力を通じて、社会の平和と安定を守っていたと考えられます。
さらに、インダス文明の謎を解くには、現代のインドとパキスタンの協力が欠かせませんし、イギリスもしっかりと関与する必要があります。
詳細は私にはわかりませんが、政治的な障害が存在しているでしょうから、様々な国が共にこの古代文明を調査すれば、解明は一層進むに違いありません。
現代のインドに見られる伝統と革新の混合は、インダス文明がその基盤となっていると私は確信しています。
現在も社会の調和を保つためには、ヨーガの智慧が欠かせないでしょう。
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☆次回はインダス文明の滅亡について考えます
★前回の投稿:ヨーガの起源 は→こちら
- イギリス植民地の時代です。インドとパキスタンの分離独立は1947年。
すでに1856年に、鉄道の建設工事をしていたイギリス人が発見していたが、古代都市のレンガを壊して鉄道の枕木の敷石にしてしまっていたそうです。 ↩︎ - 中心となる施設は沐浴場のプールで、その脇にあるのは穀物倉ではなく集会場だと記載している資料もありました。 ↩︎
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【参考文献】
- 中村元 『古代インド』講談社 2004年
- 堀晄 『古代インド文明の謎』吉川弘文館 2008年
- 上杉彰紀 『インダス文明ガイドブック』新泉社 2023年
- 目で見る世界の国々67 『パキスタン』国土社 2004年
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