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第4回目は、チベットでのヨーガ修行 最大の目的である、2日間の聖山カイラスのコラ(巡礼) について。

第二関門の恐怖をなんとか乗り越えた私ですが、食欲は戻らず、空は悪天候でコンディションは全然良くない。

しかも、コラの最高地点は標高5650mのドルマ峠(ドルマ・ラ)です。

標高5800mで空気中の酸素の量は半分になると言われているので、酸素量がほぼ半分の地を目指すというわけです。

ここまでくれば、気合いで(?)乗り切るしかありませんよね…

その道中はどうだったのか…?

ーーー

*いよいよ出発 にとぶ↓

*コラ1日目 にとぶ↓

*コラ2日目の峠 にとぶ↓

*下山 にとぶ↓

*無事にコラを終えて にとぶ↓

いよいよ出発

前回のブログ、第二関門を乗り越えた日の翌日は、いよいよコラの日です。

今思えば、結構なハードスケジュール…

しかも、「外国人はコラは3日かけて回るように」と言われたらしいのですが、2日で押し通したそうです…苦笑

天気は予報通り、朝から悪く、雨が降っていました。
先輩方の過去の写真では、いいお天気の中のカイラス山だったのですが…想像と全然違う!
けど仕方ない。

もう行くしかないと思って、いざ出発!
ドキドキ…

宿からは、今にも壊れそうなバスに乗って移動しました笑

コラは、歩きと、馬子さんが連れているラバ(ウマとロバの掛け合わせ)に乗って巡ります。

当初の予定では、馬子さんがいるところまで少し歩く予定でしたが、天気がどんどん悪くなっていったので、バスから降りてすぐにラバに乗ることになりました。

ということは、ほぼ動かないことになるので、絶対寒くなる…
寒くて風邪をひいた状態の高山病が一番危険と言われていたので「これはヤバい…!」と思い、

急いで雨具の下に防寒着を着ました。(この判断は正解でした!)

支度が整ったら、どのラバに乗るかの、くじ引きをします。(こんなことしたのは小学生以来?)

ボスっぽい馬子さんの大きい帽子の中にクジ(紙切れ)が入っていて、そこから私が一枚ひきます。

そのクジに書かれている名前の馬子さんとその相棒のラバが、私と一緒にカイラス山を巡ってくれます。

ここで、身軽そうな私は、とても喜ばれました!笑
(重いとラバは嫌がるそうなので)
私に当たった馬子さんはイケメンだったので、私も喜びました♡笑

話を戻して…

雨具ですが、ゴアテックスと指定されていましたが・・・お高いでしょ?これ。

なので、同様の機能が備わっている、ミズノのベルグテックEXを購入して挑みました。

指定に反したミズノの雨具で大丈夫か心配でしたが…これ、とても優秀でした!

大雨でしたが、身体が濡れることはなかったです。

防寒着は、山用の発熱のインナーや厚手の服をたくさん着込みました。

レッグカバーをつけた仲間が何人もいたのですが、その準備は私はしていませんでした。泣

そのため、困ったのは足元で・・・

ラバにヨイショと乗る時に、どうしてもズボンの裾が持ち上がってしまいます。
すると、足首の靴下が外から丸見えになるので、その部分が雨で濡れて、靴下全体が浸水…

靴下の替えは持っているけれど、これを履いたら明日の替えがなくなるので、迷った結果、履き替えずにそのままに。

ラバの乗り方を気をつけたり、乗った後に馬子さんが裾を下に引っ張ってくれたりして、なんとか被害を最小限にしました。

コラ1日目

1日目の道中は、どこを見ても景色がグレー。雲がかかっているし、雨降っているし、寒いしで、全然楽しくない…
修行だから仕方ないか、と諦めました…

あと、悪天候によって自力で歩く機会が減り、1日目はラバに乗っている時間がほとんどだったので、とにかく眠い!寒い!

寝たら落馬するので、寝ないように途中から小声でマントラをひたすら唱えていました。

私の馬子さんはずっと元気で、時々話しかけてくれたり気遣ってくれました。いい人です。(チベット語なので何を言っているか意味不明なので、時々ジェスチャーで意思疎通)

私のラバちゃんは、とっても気まぐれで、お茶目な性格でした。

雨でラバの髪が濡れるので、私のラバちゃんは頻繁にブルブルして飛沫を飛ばしていました。
(他のラバは雨で風邪を引いたのか、くしゃみを何度もしていました)

さらに、私のラバちゃん、しょっちゅうつまずくし、砂利道が嫌いでわざわざ草と岩のあるゴツゴツした道を選ぶしで…

つまり、乗っている私にとっては、乗り物が必要以上に揺れるから、超スリリング…!
落ちるんじゃないかとヒヤヒヤしていました。

しかも、途中の道では、なぜか崖スレスレを、このラバちゃんは通ります。

なんでわざわざ!と思ったけど、私が余計なことをして暴れられて崖に落とされるのは嫌だ、と思って私は緊張しながらも大人しく乗っていました。

「いつまでラバに乗ってるんだろう」と思いながらも、ラバを気にかけつつ、グレーの景色をひたすら眺めていました。

一方、所々、川があったり、急な登り坂があったりもしました。
これをラバに乗らずに全部自力で歩くとなると、相当大変なことだと気づいたときは、ラバに感謝しました。

かつてのヨーガ行者は、インドから歩いてこの地までやってきたので、本当に苦行ですね。

文字ではうまく説明できないくらいな環境だったのですが、カイラス山コラ中の自分の記録には「1日目の記憶があまりない」の文字です…苦笑

それだけ過酷だったのです。

そして、本当に、寒い!

やっと最初の茶屋に着いた時には、「絶対に席に座って休憩しながら防寒具を着足す!」という強い思いがありました。

悪天候なので、強靭なチベット人でも暖かな茶屋で休憩している人が多く、満席状態。
席が空いた瞬間に、ちょっと強引に場所をとりに行きました。

反対方向から席に座ろうとしていたチベット人には申し訳なかったのですが、仲間の分の席も取れたので一安心です。

座って水分補給をした後、標高が高くなった時に着ようと思っていた防寒着を着足しました。

この判断も正解で、これ以上着れないってくらいの防寒をしましたが、足が濡れていたこともあって身体はずっと足元から冷えていました。
(格好は、発熱インナー上下+ネルシャツ+フリース+ダウン上下+レインウエア上下+グローブ2重+ホッカイロ…)

茶屋を出発した後は、ひたすら寒さと眠気と闘いながらラバに乗って、

どのくらいの時間が経ったのかわかりませんが、

何時間か経過・・・

あるとき馬子さんが、左側を指差して「ここだよ」と笑顔でジェスチャーしだしました。

「え!ここ?着いたの??」

と私も思わず笑顔になりました。

そう、

コラの途中で一泊する宿泊所に着いたのです!

わーい!(疲れすぎて大きくは喜べなかったが)

それからの記憶はしっかりあります!

まず、靴下とリュックがびしょ濡れでした。

リュックは雨カバーをつけた状態で馬子さんが代わりに背負ってくれていたのですが、あまりの大雨でカバーとリュックの隙間から浸水。。
(ただ、念の為と思って、リュックの中身はビニール袋に入れていたので、被害は最小限に抑えられました)

色々びしょ濡れでどうしようかと思っていたところ…

宿泊所の食堂の真ん中に、暖炉のような暖まれる場所があったので、そこである程度乾かすことができました。

そして、乾かしながら、身体をじっくりと温めました。

芯から温まった感覚です。これがあったから、なんとか低体温症にならずに済んだと思います。

温まることができなかったら、2日目は悲惨な状態になっていたと思います。
本当に火の力はすごいです。助かりました。

(温まっている途中、チベット人同士の喧嘩が勃発…きっかけは「周りの人に迷惑をかけるな!」ということだったのですが、ガタイのいいおじさんがベルトを振り回し始めました。これには衝撃。河口慧海の時代のチベット人の血は、今でも流れていると思いました。実は現代でも、馬子さんは短剣を持っていたりして…。私の馬子さんは20代に見えたので、若い子達は違ってほしいと願いました。)

(もう一つのエピソードがあるのですが、私の後ろの方に中国人観光客のお姉さんが来ました。顔面蒼白で、防寒が不十分そうで寒そうだし、何より具合いが悪そう…。ジェスチャーで、「前に来て、ここで暖まって!」と伝えました。最初は遠慮していたのですが、何度か伝えたら隣に暖まりに来てくれました。「一人なの?」と聞いたら、途中まで友達がいたそうですが今は一人だそうで。「でも具合いが悪いから、これから帰る。そのために迎えを呼んでいる」とのことでした。生きて帰れたことを祈ります。)

ちなみに、暖を取るために燃やしているものはヤクの糞だと思われます。
臭くはなかったような・・・それよりも自分を温めることに必死で、臭いを感じていなかっただけかもしれません。

食堂の隣の棟に小さな寝る部屋がいくつもあり、簡単なベッドが2つあるくらいです。私たちは、2人ずつそこに泊まりました。

部屋の中には暖房機器はないので、寒いです。しかも、天気は雨から雪に変わりました。

でも、スタッフが用意してくださった寝袋がとても暖かくて!
着ていた服の保温効果も発揮されていて、湯たんぽも用意してあったので、寝ている間は寒さを感じなかったです。

ただし、この泊まった場所の標高は約5000mです。

そう、酸素が薄い状態です。

就寝前の私のSpO2 は77%でした。それまで高山病の症状はなかったのですが、夜中寝ている間にひどい頭痛で何度か目が覚めました

外にあるトイレへ行ったり水分補給をしたりして対応したのですが、夜中の3時に目覚めた時には、なかなか寝付けず…

仕方ないと思って、カイラス山の方角に向かってしばらく瞑想していました。

(本当はこの宿からカイラス山が見えるはずなのですが、天気が悪くて全然見られなかったです。しょんぼり…)

コラ2日目の峠

少し眠ったら起きる時間になりました。

チベットは時差がないので、朝起きる時間になっても外は暗いです。
(ここはチベットの西に位置します)

起きてSpO2 を測ってみたら、就寝前と変わらず77%でした。
頭痛などの症状はなかったのですが、睡眠不足でこのままでは危険だと思って呼吸法をして 87%に上げました。

朝6時には、私達のスタッフさんが朝食を部屋まで持ってきてくれました。(本当にありがたい)

身支度を済ませ、そのあとルームメイトと一緒にそれぞれの寝袋を一生懸命畳みました。
(寝袋を畳む時の息切れが半端なかったです。ここは5000mの地だということを気付かされる。)

そうこうしているうちに、馬子さんが迎えに来てくれました。

そして、朝7時頃に出発。標高5650mのドルマ峠へ向かいます。

その峠周辺はラバに乗っていると危険だということで、自力で歩きます。

宿よりも雪が降っていることが予想されるため、事前にこんな注意事項を言われていました。

「ヤクやツノの生えた動物が雪で滑って落ちてくるかも」

「雪渓があるから滑って落ちないように、足早に通過すること」

「昼食後に通る道は安全だが、風が強く、おまけに疲れた状態で歩くことになるから気をつけるように」と。

ヒヤヒヤしながらも、防寒対策と浸水対策をできる限りしました。

1日目と変えた対策方法は、靴下を二重に履いたこと。浸水しないように、ズボンの裾とトレッキングシューズを安全ピンで止めたことです。
(この対策は明け方の瞑想で思いつきました!レッグカバーほどの効果はありませんが、多少は役に立ったかと思います。)

気合を入れていざ出発!と思いましたが、2日目は予想以上に疲れが出ていて、足がガクガクです。

ラバに乗るために足を上げるのが一苦労。
馬子さんにお尻を押してもらって、やっと乗れました。

リュックは1日目と同様に馬子さんが背負ってくれるので、少しは楽です。
(ラバの負担を減らすためでもあります)

それでもうまくラバに乗れなくて、何度も馬子さんに座る位置を直してもらいました。

2日目の朝の天気は雪

私のラバちゃんは、何度も何度も前髪に降りかかる雪を、頭をブルブルさせて払います。

その度に、前髪が目にかかって前が見えづらくなり、今度は前髪を避けるために、さらに頭をブルブル…

またしてもお茶目な性格を発揮し、乗っている私はスリリング・・・苦笑

足腰の力が思うように入らず、座る姿勢を保つだけでも辛い私でしたが、このラバちゃんのブルブルで振り落とされないようにと、一生懸命踏ん張りました。

しばらくしたら雪は止みましたが、途中から積雪が20センチくらいに。
底がどこだかわからないので、もっと深かったのかもしれませんが、とにかく上も下も真っ白です。

その状況でしたが、雪山装備は全くしていません。

こんな雪の中のコラは、私たちの団体では、初めてのことだそうです。
なので、特に雪山の準備はしていませんでした。

色々と、過酷ですね・・・笑

ラバちゃんのトイレやご飯のために、何度か私は降ろされたり歩かされたりしましたが、どこを見ても真っ白だし、空気は薄いし、寒いし、足はガクガクだし、ここはどこ?いつ着くの?という状態。

馬子さんですら、少しきつそうな表情を見せるようになって、ハアハアと呼吸を整える場面が増えてきました。

急な登り道に差し掛かった時には、馬子さんが「ここはラバに乗ってると危険だから降りて!」とのジェスチャー。

過酷な状況すぎて、私の頭は全然働かないので、拒否することもできず、とにかく言われた通りにしました。

しばらく急勾配を歩いたら・・・

スタッフさんがタルチョ(チベットの旗)を取り出してきて、雪の上で結び始めました。

それを見て私は、馬子さんに背負ってもらっているリュックを一度返してもらって、白い布を取り出しました。

白い布は、チベット到着時の歓迎でいただいたのものです。
「タルチョに結ぶといいよ」と言われたので、それを思い出して結びました。

結び終わったら馬子さんが「リュックちょうだい!持ってるから」と言われたので渡しました。

そんなことをしている間に、続々と後から仲間が到着してきます。ここは少し混み合っていました。

そこで、気がつきました。

ここが、

標高5650mのドルマ峠だ!

ということを。

よーーーく周りを見渡したら、たくさんのタルチョが雪に埋もれていました。

・・・私のドルマ峠のイメージは、

『青空の下、たくさんのタルチョがはためいている…』

イメージと全く違って、峠だということに気づかず、「えっ?ここ??」という印象。

そして、最高地点だということに気づいて、すかさず呼吸法をする…
(息苦しさや高山病症状はなかった、あるいは気づいていなかったので、マズイと思って呼吸法をしました)

峠に到着したことに全く気づかなかったので、感動が半減…

悔しい思いをしたのですが、

とにかく雪が多くて、寒くて、頭は働かなくて、急いでここから抜け出すことに。

そこで、もう一つ気づきました。

緊急事態発生・・・

私のリュックは、馬子さんが先に持っていってしまったのです。

事前の注意事項でもう一つ言われていたのですが、

「峠に着いたあとは、急な下り坂でラバには乗れないから、何時間も歩いて降りますよ」

「ドルマ峠に着いたらリュックを馬子さんから返してもらうように」と。

しかし、私はリュックを馬子さんに渡してしまった!!!

ということは、

飲み物がない、ストックもない、スキー用グローブはリュックの中…

同じ状態の仲間が他にも何人も。

私は、落ち込むパワーは残っていませんでした笑

日々のヨーガ修行のおかげで、冷静に状況を受け入れることができ、「身軽な状態で下山できる」とポジティブに捉えるしかないという考えに変わりました。

それにしても、この雪で滑って転ぶ危険あり。崖から落ちるかもしれない。

どうすればいいか考えながら、峠を出発して下山し始めました。

下山

これからは足場の悪い道をどんどん下っていきます。

岩がゴツゴツしていることに加えて、雪が20センチも積もっているので、滑って崖から落ちないように気をつける必要があります。

幸い、仲間がストックを一本化してくれました!これには本当に感謝です。

ストックで支えながら、滑らないように下っていきました。

標高は徐々に低くなっていくので、呼吸は少し楽になっていきました。

標高5000m台ではありますが、高山病の症状で辛いことはありませんでした。

それでも、チベット人のようなハイペースでは進めません。

ゆっくり、自分のペースで降ります

途中で、両親に連れられた4歳くらいのチベットの男の子が、大泣きしながらスタスタ下山していた姿を見ました。
鍛え方が違う…と思い知らされました。

そして、男の子に感服です。(本人はそれどころじゃなかったとお思います。こんなに辛いなんて聞いてない!って感じでしょうか。)

それの少年を見た私は、少しずつパワーが湧いてきました!

気づいたらハイになっていて、徐々にペースアップ!!笑

そうしたら人の気配は少なくなり、自然と自分だけの世界…という下界では絶対味わえないような感覚に

ペースアップすると、喉が渇くようになりました。

でもリュックがないので、水分補給ができない。

考え抜いた結果、聖なる雪をいただくことにしました。

自然のパワーを補給です。味は特にしませんでしたが、生き返った感覚になれました。

途中で糖分も欲するようになってきたのですが、これは、雨具の内ポケットに飴やお菓子を入れていたので、それらを食べました。

また、この下山の最中には不思議と疲れは感じませんでした。

おそらく、私の脳内はアドレナリンとドーパミンが大量だったのだと思います。

また、日本での筑波山の岩の道を下ったトレーニングを思い出されました。その効果もあってか、リズム良く岩道を下ることができました。

さらに、「自分のリュックを持っている馬子さんの元へ行かないと」という気持ちや、念願のコラをもうすぐで終えられるという喜びで、頭が少しおかしくなっていたのかもしれません…

そうこうしているうちに、

とても急な崖の先に、馬子さんが待っているであろう茶屋を見つけました!
見えたときは、とても嬉しい気持ちになりました。

でも、茶屋が見えるのになかなか着かない。

急勾配だから超キツイのです。
何度も足を止めて呼吸を整えながら茶屋に向かって降りていきました。

そんな最後の試練がありましたが、なんとか茶屋に到着。

先に着いていた仲間が私を見た時には、「死にそうな顔してる」と言ってましたがね…笑

茶屋やその周りをだいぶ探し回った後に、やっと私の馬子さんに出会うことができて、無事にリュックをゲット。

馬子さんは「よく頑張ったね」と背中をポンと叩いてくれました。感激です。

この茶屋では、ご飯を食べて少し休憩しました。

ここがゴールではないので、この先は、ラバに乗ったり、降りて歩いたりしてさらに下山します。

ちなみにラバちゃんの前髪は、いつの間にか馬子さんが髪飾りのようなもので止めてくれました!
それ以来ブルブルは無くなったので少し安心しました。

その後、私の足はさらにガクガクで、天気は雨が降ったり止んだりで悪いまま。ラバに座ってるのが本当にキツかったです。

でも自力で歩く気力もないから、ともかく落馬しないように気をつけました。

何回目かのラバから降ろされた時、「ここからの道はラバに乗っていたら狭くて危険だから降りて!僕たちは先に行って待ってるね!自分で歩けるよね?」というようなことを言われました。

チベット語がわからなくても、ニュアンスで通じるようになってきました。

でも「あとどのくらいで着くのか」を馬子さんに聞いてみたけれど、それはお互いうまく通じず、断念。

周りに他の人はほとんどいなくて、まあ「いつかは着くだろう…」と思い、承諾しました。

リュックは持っていってくれるようだったので、ストックと水分は手に持って、ひたすら前へ進みました。(ちゃんと反省を活かせました)

空は厚い雲で覆われていて、強風が吹いていましたが、視界は次第に良くなっていきました。

別の山が見えたり、川が見えたりと、地上(と言っても標高4600m)に近づいてきました。

ある地点を越えると、先の方に茶屋を発見!

もしやと思って、少しペースアップして進んでみると、馬子さんとラバちゃんがいました!!

疲れすぎて大きく喜ぶ力はなかったのですが、達成感はとても大きかったです。

無事にコラを終えて

最後の茶屋で、私の馬子さんとそのお友達の馬子さんたちと休憩をして和みました。

ここでお別れとなると、少し寂しい気持ちになりました。

最後は、お礼に、日本のお菓子詰め合わせを私の馬子さんにプレゼント。
(コラ出発前に一つの袋にまとめておいたのです)

とてもとても喜んでくれました!

そして、とってもシャイだった私の馬子さんでしたが、最後に“キュン”ポーズをプレゼントしてくれました♡

私のラバちゃんも、最期まで嫌がらず・諦めずに本当に頑張ってくれました。

他のスタッフさんや仲間にも助けられ、乗り越えられたコラでした。

実は、出国前までは不安と恐怖がとても大きく、「途中でリタイアしたとしても、生きて帰ってこれればいいや。」「また行きたいと思うことができればいいな。」と思っていました。

それが、何事もなくコラを達成できただけでなく、「また行きたい!」「またいつかカイラス山コラしたい!」「あの感覚を味わいたい!」と思うことができたのです。

それだけ、ここで得られたパワーが大きかったのです。

五千年も前から、インドのヨーガ行者はこの地に辿り着くために、山や氷河などを超えてきた思いが、少しわかった気がします。

カイラス山とその周りの自然が放つパワーが、偉大なのかもしれません。

またいつか、コラできる日を願って・・・

*

☆次回→チベット水問題について

★前回の投稿→高山病第二関門

* * *

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